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東京高等裁判所 昭和36年(ネ)1564号 判決 1963年5月22日

第一五六四号事件控訴人・第一五六一号事件被控訴人(第一審原告) 都燃信用組合

第一五六一号事件控訴人・第一五六四号事件被控訴人(第一審被告) 国

訴訟代理人 小林定人 外三名

主文

原判決中第一審原告敗訴の部分を取消す。

東京都港区芝三田四国町二番地東日本印刷株式会社の第一審原告に対する別紙目録<省略>記載の定期積金債権中証書番号三一八八号金二六一、〇〇〇円(全額)及び証書番号三一四五号金五七四、二〇〇円の内原審において請求を棄却せられた金九九、二〇〇円の部分の各債権の存在しないことを確認する。

第一審被告の控訴を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。

事実

第一審原告(以下「原告」という。)訴訟代理人は、「原判決中原告敗訴の部分を取消す、東京都港区芝三田四国町二番地東日本印刷株式会社の原告に対する別紙目録記載の定期積金債権中証書番号三一八八号二六一、〇〇〇円(全額)及び証書番号三一四五号の債権の内原審において請求を棄却せられた金九九、二〇〇円の各債権の存在しないことを確認する、訴訟費用は第一、二審とも第一審被告(以下「被告」という。)の負担とする。」との判決及び「被告の控訴を棄却する。」との判決を求め、被告訴訟代理人は、「原判決中被告敗訴の部分を取消す、原告の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも原告の負担とする。」との判決及び「原告の控訴を棄却する。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上及び法律上の陳述並びに証拠の提出、援用及び認否は、原告訴訟代理人において、請求原因中六の(五)(記録三七九丁裏)の三、四行目「仮に前(二)記載の事実が認められないときは」を「仮に前(三)記載の相殺の効力が認められないときは、」に改め、証拠として、甲第七号証の一ないし三、第八号証の一、二を提出し、当審証人渡部治郎兵衛の証言を援用し、被告訴訟代理人において、甲第七号証の一ないし三の成立を認め、第八号証の一、二は不知と述べ、なお答弁として次のとおり付加陳述したほかは、いずれも原判決事実摘示の記載と同一であるから、ここにこれを引用する。

「原告より訴外東日本印刷株式会社に対し、昭和三十二年二月十七日頃郵便で手形買戻の請求をなすとともにそれができないことを条件として原告に対する右会社の全債務につき期限の利益を剥奪し割引手形全部につき買戻を請求する旨の意思表示がなされたことは否認する。右意思表示の発信の控であるとして原告の援用する甲第五号証の二自体によつても、かような意思表示が発信され到達したことは明らかでないのみならず、もしそのような事実があつたとすれば、原告の手形貸付金元帳等の帳簿にその旨の記載がなさるべきであるにかかわらずその記載はなく、本件差押前の東京国税局収税官がなした調査の際にも、又差押時及び審査請求に際しても、かような意思表示により弁済期が到来した旨の主張はなされていない。のみならず原告に於ては右買戻を請求したと主張する日以後においても手形貸付、手形割引、手形書換等の取引を右会社との間に継続してなしており、又手形金取立のため各割引手形の満期にこれを支払銀行に呈示している事実があるから、たとえ原告主張の二通の割引手形につき手形買戻請求の意思表示があつたとしても、原告と右会社との間においては、同会社の全債務につき弁済期を到来せしめることはせず又他の割引手形全部につき買戻を請求することもせず依然取引関係を継続させる意思であつたものと推測すべきであり、右会社の原告に対する全債務につき昭和三十二年二月二十八日期限到来したということはできない。

仮に原告主張のとおりの割引手形買戻請求がなされたとしても、本件手形の支払請求及び買戻請求に当つてはいずれも手形の呈示又は交付がなかつたから、右支払請求及び買戻請求は無効である。」

理由

(預金、積金債権の成立とその差押)

第一、訴外東日本印刷株式会社が昭和三十二年三月十二日現在で原告に対し別紙目録記載の定期預金及び定期積金債権を有していたこと及び同月十三日被告が同会社に対する国税滞納処分により右預金及び積金債権の差押をしたことは、当事者間に争がない。

原告は、右預金及び積金債権は、原告が右会社との手形取引契約に基き同会社に対して有していた次に記載する反対債権と対当額につき相殺された結果消滅したと主張する。

(反対債権-自動債権)

第二、原告の主張する反対債権は次のとおりである。

(一)  手形貸付による貸金

表<省略>

(二)  手形割引による貸金

表<省略>

(手形貸付について-貸金債権の存在)

一、右自働債権の内(一)の各手形貸付の行われたこと及び各貸金の弁済期も原告主張のとおりであることは当事者間に争がない。

被告は、右各手形貸付による債権は、原告が相殺の意思表示をしたと主張する日より以前すでに弁済又は更改もしくは代物弁済により消滅していると抗弁する。右各手形貸付に際し前記訴外会社の差入れた約束手形につき、各貸金の弁済期に手形の書換が行われ、原告の手形貸付金元帳の当初の手形貸付の該当欄に<済>の記載があることは原告の認めるところであるけれども、手形貸付による金銭貸借の場合において当該手形を書換えることは、特段の事情がない限り貸金債権の弁済期を延期する趣旨と解すべく、成立に争のない甲第三号証及び原審証人渡部治郎兵衛の証言(第一回)によれば、右手形書換の当事者である原告及び訴外会社はいずれも貸付金債務の当初の弁済期を延期する趣旨で手形の書換をしたものであり、右帳簿には事務処理の都合上書換前の手形に係る貸付金の欄に書換の都度<済>の印を押して直ちに同額の貸付金を新たに起す取扱をしているけれども、手形書換により旧手形に係る貸付金債務につき弁済、更改ないし代物弁済があつたものとはしていないことが認められ、他に被告主張のような弁済、更改又は代物弁済の事実を認めることのできる証拠はないから、被告の右抗弁は採用できない。

(手形割引について-貸付金債権の存在)

二、原告主張の前記(二)の各手形割引の行われたことは被告の認めるところであるけれども、その都度これに伴い貸付のなされたことは、被告においてこれを争い、手形の割引は手形の売買と解すべきであると主張する。

手形割引なる語は一般には手形の売買と解されているけれども、具体的事件においてそれが売買に該当するか貸借に該当するかはその事実関係に即して別に考慮されなければならない事項であるところ、本件においては、訴外会社より原告に差入れた手形取引約定書であること当事者間に争ない甲第一号証の記載によつても原告が訴外会社のためになした手形割引が売買であるか否かは必ずしも明らかでない。しかしながら前示甲第三号証、当審証人渡部治郎兵衛の証言により真正に成立したものと認める甲第五号証の二並びに原審及び当審証人渡部治郎兵衛の証言(原審は第一、二回)を総合すれば、原告方においては手形割引も手形貸付とともに手形貸付金元帳に記帳してはいるものの、その摘要欄において手形割引及び手形貸付にそれぞれ「割手」「手貸」という表示を付けて両者を区別の上記載し、割引手形の支払人につきその信用を疑うべき一定の事由が生じたときは割引依頼者に対し手形の買戻を請求することもあることが認められ、これと前記甲第一号証(手形取引約定書)の第十一条第二項に割引手形の買戻請求のことを規定し、同第一条第三項に特に手形割引の場合にはその都度依頼者において手形金額に相当する借入金債務を負担するものとする旨をわざわざ規定していることを対照して考慮するときは、本件手形割引が手形の売買であることを否定することも困難なようである。

(手形割引と貸借の併存の可能性)

しかしながら原告は訴外会社との手形割引については割引の都度当該手形金額の金員を貸付けたものとする特約があることを主張するものであり、かような特約があることは右甲第一号証の第一条第三項の記載により認められるので、手形割引を右のように売買と解した場合にも、なお、かような貸付金債務を生じさせる特約がその効力を生ずる余地があるか否かを検討する要がある。

元来金銭消費貸借が成立するためには、貸借の目的たる金銭の授受又はこれと同視すべき経済上の利益の授受が必要であり、少くとも準消費貸借の目的となるべき旧債務の存在が必要なところ、手形割引が売買の性質を有するときは、金員の授受は売買の目的物たる手形の対価としてなされるものであるから消費貸借の要物性を満たすべき金銭の授受には該当せず、又売買の履行として手形の交付及び代金の支払が終れば後に金銭債務を残さないから準消費貸借の目的とすべき債務も存在しないのであつて、一見手形売買の存するところ金銭消費貸借上の債務を生ずる余地がないようにも見えるけれども、原審及び当審証人渡部治郎兵衛(原審は第一、二回)、原審証人児島義一(第二回)の各証言を総合すれば、原告のような信用組合が手形割引をなす場合は、割引のために持込まれる手形は概して弱小業者の発行するもので、銀行では割引を受けられないような信用度の低いものが多く、商業手形の外形は備えていても実は融通手形である場合がしばしばあり、割引をする信用組合側においても、振出人の資力を十分に調査し手形の実質上の価値を見定めて手形割引の対価額を定めるようなことはせず、手形振出人よりもむしろこれを持込んだ割引依頼者の資力に重きを置き、これを信用して手形の実質的価値いかんにかかわりなく一率に一定の割引歩合を以て割引に応じており、割引いた手形を他の金融機関に再割引に付するようなことはなさず、満期に手形金の支払を受けられなかつた場合においても、更に振出人の責任を追及するようなことはしないで割引依頼者の方の責任を追及し、その場合手形取引約定書の上では手形買戻の請求ができるようになつているけれども実際上は同一振出人の振出す新たな手形を受領して旧手形と差換える方法により事を処理する方が多いような実情であり、手形割引当事者としては、経済的価値ある手形を相当な対価を払つて買取るという考えは薄く、むしろ割引依頼者に一定期間手形金額に相当する金員を利用させるという考え方で割引の依頼に応じているものであり、手形割引も手形貸付も同一の手形貸付金元帳に混合して日付順に記帳し、預金積金を担保とするときも両者共通であり、取引高の限度についても両者に通ずる共通の最高限度を定めていることが認められ、このような実情に着眼して考えるときは、原告が訴外会社の依頼に応じて手形を割引くのは訴外会社に対し割引手形の実質上の価値とは無関係に一定額の金融の便益を与えるためであつて、かような一定の金額に見積られた経済上の利益を付与することは、金銭消費貸借の成立要件としての要物性の要求を満たすに足るものである。従つて手形割引当事者間において手形割引の都度手形金額に相当する借入金債務を負担するものと定めた本件手形取引約定書第一条第三項は本件のような事案においては合理的存在理由を具備するものであり、手形割引が売買の性質を有するとしてもなお右の定めは有効と解すべきである。

そして右事実と前示甲第三号証及び当審証人渡部治郎兵衛の証言により真正に成立したものと認める甲第六号証の一ないし十六とによれば、原告主張の手形割引の都度金銭消費貸借が右のようにして成立しその金額及び弁済期も原告主張のとおりであることが認められる。

(相殺の成否及び効力)

第三よつて前記第一の受働債権と第二の自働債権との相殺に関する各争点について以下検討する。

(本件差押直前頃の合意相殺について)

一、原告は、本件差押のなされる直前頃原告と訴外会社との間に本件預金及び積金と原告の右会社に対する一切の債務とを対当額につき相殺する旨の合意が成立したと主張する。

前示甲第五号証の二及び原審証人渡部治郎兵衛、同児島義一の各証言(何れも第一回、児島義一の証言中後記採用しない部分を除く。)を総合すれば、原告は、訴外会社のため割引をした手形の内前示第二(二)の(2) の手形の振出人が昭和三十二年一月十九日、同(6) の手形の振出人が同年二月十四日それぞれ東京手形交換所より取引停止処分を受けたので同年二月十七日付書面により同訴外会社に対し、右(2) (6) の割引手形を直ちに買戻すべく、もし同月末日までに買戻をしないときは手形約定書の定める所により同会社の全債務につき期限の利益を喪失したものとして取扱い全債務の支払を請求する旨の意思表示をなしたが、同会社は同月末日までにその買戻をすることができず、同月末頃より原告と債権債務一切の整理について折衝を行つたことを認めることができるけれども、右各証言のほか前掲甲第三号証甲第六号証の一ないし十六及び当審証人渡部治郎兵衛の証言を総合すれば、右折衝の結果、原告においても、会社側のいうそのうち清算するから割引手形の買戻請求は暫く待つてほしい旨の懇請を容れ、これを信用して、同月末日になつても、手形取引を解約して債務全部につき弁済期を到来せしめ一切の債権債務を清算するというような厳格な態度はとらず、同年六月十七日に至るまで帳簿の右会社口座も閉鎖しないで期限の到来した貸付金については手形の書換や割引手形の差換に応じて弁済を猶予し、各手形の満期の到来を待つてこれを支払場所に支払のため呈示する等手形取引を継続していたことが認められ、なお成立に争のない乙第一号証、原審証人木幡敬信、同渡部治郎兵衛(第一回)の各証言によれば、本件差押当時原告の手形貸付金元帳、定期預金元帳、定期積金元帳等には相殺を推知させる記載がなく、原告も本件差押に先だち東京国税局収税官がなした調査に際しては本件定期預金及び積金が存在する旨回答し、差押に際しても又その後の審査請求においてもそれが相殺により消滅した旨の主張はしていないことが認められるので、以上の諸点を考慮するときは、本件差押前においては右定期預金及び積金については相殺は合意によると否とを問わずまだ行われていなかつたものと認めるのが相当である。右認定に反する原審証人児島義一の証言(第一回)は採用し難く、他に右認定を動かし原告主張の合意相殺の行われたことを認めることのできる証拠がないので、この点に関する原告の主張は採用できない。

(昭和三十三年一月十日の相殺について)

二、原告は、昭和三十三年一月十日右訴外会社に対し相殺の意思表示をなしたと主張し、成立に争のない甲第二号証並びに原審及び当審証人渡部治郎兵衛の証言(原審は第一回)によれば、原告は前記第二(一)(二)の各債権と同第一の定期預金及び定期積金債権とにつき原告主張のとおりの相殺の意思表示をしたことを認めることができる。しかしながら手形貸付による貸付金及び手形割引に伴う貸付金を自働債権として相殺をなす場合は手形を相手方に交付してこれをなすことを要するものと解する。けだしいわゆる手形貸付の場合は特段の事情がない限り手形は貸付金債務の支払確保のために振出交付されたものと認むべきであり、このような場合には特段の事由がない限り債務者は貸付金債務の弁済は手形と引換になす旨の抗弁権を有するものと解すべく、又前記のように手形割引に伴い成立した貸付金債務についても、債務者の貸付金債務と手形上の債務(本件債務者が割引手形につき裏書人としての債務を負担していることは前掲甲第六号証の一ないし十六により明らかである。)とは客観的には単一の目的を達するためのものであつて、その一が弁済等により目的を達して消滅する場合には他もまた消滅すべき関係に在るから、債務者は二重払の危険を避けるため貸付金債務の弁済は手形と引換になす旨の抗弁権を有するものと解すべきであり、手形を交付しないで相殺をなすことは債務者の意思によらないでこれらの抗弁権を喪失させることになるから、債務者の同意がない限りこれを許すべきではない。そして本件においては、当審証人渡部治郎兵衛の証言中には、右相殺当時原告側では手形を持参して訴外会社に赴いたけれども、訴訟中だから預かつてくれといわれたため持帰つた旨の供述部分があるけれども、にわかに採用し難く、他に原告が右昭和三十三年一月十日の相殺に際し手形を交付したこと又は相手方よりその交付を免除されたことを認めることのできる資料はないから、右相殺は効力を生じないものというべきである。

(本訴における相殺について)

三、(一) 原告は、本訴において昭和三十四年九月五日被告到達の準備書面を以てその主張のとおり相殺の意思表示をしたと主張し、その事実は当事者間に争がない。

(二) 原告はこの場合においても手形を相手方に交付したことを主張していないけれども、手形に関する権利を訴訟上攻撃防禦方法として主張する場合には、その主張の当否は当該事件の裁判をまたなければ定まらないのであるから、手形を相手方に交付しなければ手形に関する権利の主張を許さないということは難きを強いるものであり、かつ手形の交付を要しないものとしても訴訟上の権利行使の場合は二重払の危険を生ずる余地も少ないから手形に関する権利を訴訟上主張する場合には手形の交付を要しないと解すべきであり、このことは手形に関する権利につき訴訟上の相殺を主張する場合にも別異に解することを要しない。従つて原告の本件訴訟上の相殺の主張については手形交付の欠缺は問題としないでその効力を判断すべきである。

(三) 争のない本項冒頭(一)の事実関係によれば、右相殺における原告の自働債権は次のとおりであり、訴外会社の受働債権は別紙目録記載の定期預金及び積金債権全額であつて、自働債権受働債権ともいずれも相殺の意思表示当時に在つては弁済期が到来している。

前示第二(一)の手形貸付金の内

(1)の金三、〇〇〇、〇〇〇円の内金一、五〇〇、〇〇〇円

(2)の金二、〇〇〇、〇〇〇円の内金一、五〇〇、〇〇〇円

(3)の金  五〇〇、〇〇〇円の内金  一〇〇、〇〇〇円

(4)の金  一五〇、〇〇〇円の全額  一五〇、〇〇〇円

(5)の金  一八一、五〇〇円の全額  一八一、五〇〇円

及び前示第二(二)の手形割引に係る貸付金の内

(1)ないし(15)の各全額

(16)の金 一三五、〇〇〇円の内金 一〇五、七〇〇円

(四) しかしながら右受働債権についてはこれより先昭和三十二年三月十三日被告によつて差押がなされたことは本理由冒頭説示のとおりである。そして被告は前示自働債権については差押当時までに弁済期が到来していなかつたから相殺の効力を被告に対抗することができないと主張する。

元来債権の差押は執行債務者に対しその執行の目的たる債権の処分殊にその取立をなすことを禁ずるものであり、第三債務者に対してはその支払をなすことを禁ずるものであるから(民事訴訟法第五百九十八条)、対立する両債権が差押当時相殺適状になかつたときは、その後相殺適状に達するを待ち弁済によらないでこれと同一の効果を生ずる相殺をなすことは債権差押によつて得た差押債権者の利益を害することになる。しかしながら債権の差押は窮極において差押債権者に対し目的債権の取立を許し又はこれを転付するにつきその前提としてなされる処分であつて、これにより差押債権者に対し第三債務者に対する関係において差押の目的たる債権の債権者が差押当時有していた地位よりもより以上有利な地位を与えんとするものではない。従つて第三債務者が従来の債権者に対する関係で差押前から有していた法律上の地位ないし利益はその後における債権差押によつて害されるべき謂れはなく、差押前従来の債権者に対する関係で主張することのできた利益は差押後は差押債権者に対してもこれを主張することができるものと解すべきである。そして受働債権の差押当時自働債権及び受働債権のいずれも弁済期が未到来であつても、自働権の弁済期が受働債権の弁済期より前に到来すべき場合においては、第三債務者は受働債権の弁済期の到来を待ちこれと自働債権とを相殺すべき期待を有するものであり、その期待は社会生活上一般に首肯できるものであるから法律上の保護に値し、債権差押によつて害さるべきではないと解すべきである。従つてたとえ受働債権につき差押がなされた後に自働債権の弁済期が到来した場合でも、その後に受働債権の弁済期が到来すれば受働債権の債務者に自働債権との相殺を許すべきである。被告の法律上の見解は右と異るけれども当裁判所はこれを採用できない。

(相殺の充当)

(五) 本件においては、各受働債権の弁済期はすべて昭和三十二年四月二十八日以後に到来したものであり、これに対し前掲自働債権の弁済期は、手形貸付による貸付金債権についてはその最も遅いものも昭和三十二年四月九日であるが、手形割引による貸付金債権に在つては、前掲第二(二)の(1) ないし(6) の六口の弁済期は右昭和三十二年四月二十八日より前であつて、同(7) ないし(16)の十口の弁済期はその後であり受働債権中のあるものの弁済期よりは後であるが他のものの弁済期よりは前となつている。もつとも原告は昭和三十二年二月末日限り訴外会社との間の手形取引契約を解除し手形取引約定書の定めるところにより訴外会社に対する総ての債権につき弁済期を到来せしめたと主張するけれども、その主張の採るべきでないことは既に第三の一において説示したとおりである。

よつて右自働債権及び受働債権のそれぞれの弁済期を考慮しながら右自働債権を以てする相殺を差押債権者たる被告に対抗できるか否かにつき検討すると、自働債権中前出本項(三)の手形貸金の相殺に供せられた金額の全部及び同手形割引に係る貸付金の内(1) ないし(6) の各債権、以上合計金四、三六六、五〇〇円はいずれも受働債権中のいずれの債権の弁済期よりも前に弁済期が到来しているから、これを以てする相殺はこれを差押債権者たる被告に対抗できるのであり、その総額は受働債権の総額金五、二七八、二〇〇円全部を消滅させるに足りず、本件においては相殺の充当につき別段の意思表示があつたことも認められないので、民法第五百十二条、第四百八十九条に従い受働債権中先に弁済期の到来したものから順次充当を行うときは、別紙目録記載の定期預金一〇五〇号、同一二〇七号、同一三四七号、同定期積金二六二七号同三三八五号以上合計金三、六六〇、〇〇〇円は全部消滅し、定期積金二八九八号は内金七〇六、五〇〇円が消滅して残金七六、五〇〇円が残存する計算となり、定期積金三一四五号同三一八八号は全額残存することとなるので、残存債権の総額は金九一一、七〇〇円となる。然るにこの三口の定期積金の弁済期は昭和三十三年九月三十日又はその後であつて、自働債権中残余の(7) ないし(16)の貸付金債権の弁済期はすべてその前に到来するから、右(7) ないし(16)の貸付金による相殺もこれを被告に対抗できる。右(7) ないし(16)の貸付金の相殺に供せられた合計額は金九一一、七〇〇円であるから、相殺の結果受働債権はすべて消滅することになる。

よつて別紙目録記載の受働債権の債務不存在確認を求める原告の本訴請求はすべて理由があるから、原告の控訴に基き原判決中原告敗訴の部分を取消しこの部分に関する原告の請求はすべて認容すべく、被告の控訴は理由がないからこれを棄却すべきものとし、民事訴訟法第九十六条第九十五条第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 小沢文雄 中田秀慧 賀集唱)

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